【衝撃事実】明石家さんまが死を回避 / 日航機墜落事故で九死に一生を得る「助かった理由が奇跡」


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1985年8月12日に発生した、日本航空123便墜落事故。羽田から伊丹へと向かう日本航空123便が破損し、高天原山に墜落した痛ましい事故である。複数のトラブルが重なった悲惨な事故であり、未来永劫、忘れてはならない大きな事故として知られている。

・九死に一生を得る出来事
520人の命が犠牲となり、4人が生存した日本航空123便墜落事故だが、タレントの明石家さんまが、墜落した日本航空123便に乗る予定だったことが判明。しかし「とある理由」で乗らずに済み、九死に一生を得る出来事があったのである。

・日本航空123便に乗らずに済んだ
1985年8月12日、明石家さんまは東京で「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)の撮影をしたのち、日本航空123便に乗って大阪へと向かい、「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)に出演する予定だった。しかし「オレたちひょうきん族」の収録が早く終わったため、便を早めて全日空の飛行機に搭乗。日本航空123便に乗らずに済んだのである。

・あまりにも社会に与えた影響は大きい
まさに、奇跡が起きた「九死に一生」といえるだろう。しかしながら日本航空123便には複数の著名人が乗っており、歌手の坂本九(43歳)、ハウス食品工業代表取締役社長の浦上郁夫氏も乗っていた。そう、あまりにも社会に与えた影響は大きいのである。

・「オレたちひょうきん族」によって救われた命
もし、日本航空123便に明石家さんまが乗っていた場合、1988年の大竹しのぶとの結婚はありえないし、娘のIMARUも生まれないことになる。まさに「オレたちひょうきん族」によって救われた命といえるだろう。

もっと詳しく読む: 明石家さんまが死を回避 / 日航機墜落事故で九死に一生を得る(バズプラス Buzz Plus) https://buzz-plus.com/article/2018/08/16/japan-airlines-flight-123-sanma/

yamashiro

繊細見にえて、実はぶっきらぼうな男子。カメラを持って街を歩くのが好き。